天からの封書を開けよ

どうでもいい日常の中から捻り出して綴っていきます。

フォルダ・ファイルという知見

大学4年で研究室に配属されたとき、最初にすることは「知見」と呼ばれるものだった。つまり、先人がいままで明らかにしてきたことをまとめ、みんなの前で発表するというもの。要は、卒論では、ここまで明らかになっているので自分はこの先のこういうことを明らかにしようと思いますと計画を発表するものである。

どうやって先人の知見を収集するか、それは、先輩の卒論であったり、論文であったり、DNAとかタンパク質のデータベースであったり。後者のふたつは、科学者研究者はその成果をオープンにすることが仕事と思えば、思う存分使わせていただいたということになる。

いま仕事で言えば、だいたいが「引継書」とかその中の「マニュアル」であり、その中にすべての知見を含むらしい。人に言わせると、それですべての仕事が完結するのが望ましいらしい。

しかし自分はそのようには思わず、引継書なんて本当に現在進行形のものを書くものだと思っているし、業務の分掌や考え方は記しても方法はいちいち書くものではないと考えている。マニュアルはシステムやデータベースの操作マニュアルの類であって、業務のマニュアルなんて意味がないと思っている。我々は、仕事に対して結果を必要としているのであって、過程などはどうにでもなる。どうにでもなることを、詳述するのは時間の無駄だし、方法なんて常に改善していくものだから、逆に邪魔になることさえある。

ただし、どのような結果(ステップといったほうが正確か)を求められているかは、知見がないと分からない。そんなとき、いまのツールから考えるとフォルダでありファイルであると考えている。簡単に言えば、自分も同じようなフォルダやファイルを作っていかなければならないし、後任の者もそれに従えばいい。そして、どんどん変えていくし変わっていくから、それを引継書に残せばいい。