天からの封書を開けよ

どうでもいい日常の中から捻り出して綴っていきます。

高等教育論

6月23日・24日の前半は高等教育論の概論および各論の一部をピックアップして論文を読み、議論した。

学生は自分以外はみんな教育システム専攻で、他専攻からの学生は自分だけであった。当たり前といえば当たり前でしょうなぁ。ちなみに社会人大学院生が半分くらい。

高等教育の歴史とか比較とかはあまり勉強していかなった分野。もちろん最初の起こりだとか雰囲気だとかは聞いていたけど、近世・現代らへんはサッパリ(あまり激動では無いことも原因かも知れない)。比較教育の観点から高等教育を見ると、各国の事情があまりにも違いすぎることに気付く。欧州はEUの政策で近寄ってきているけど、日本が参考にしたと言われるアメリカの学制も実はマイノリティであったり、その後独自に発展して様相が変わったり。そして学位に対する考え方も異なるとなれば、世界的にスタンダード化する必要があるではないか。日本が世界に合わせても合わせられないということだ。

各論は国際化(外国人教員+学術論文)とキャリア教育(キャリアサポート+出口+社会人大学院生)について。前者は比較的わかりやすい分野。外国人教員の問題は凡そ片付いているし(目的か手段かの議論は続いているだろうけど)、学術論文に関しても解決しない問題は明らかであるし、解決する問題はどのようにすればいいかこれも明らか。後者のキャリア教育に関しては「大学は何であるか/あるべきか」「大学は社会に対してどういう存在であるか/あるべきか」という議論に行きつく。そもそも論を展開すれば大学は社会に適応する必要はないだろう。でもそのそもそも論から、適応するための大学であれば社会に適応するのもまた自然なことと考えることができる。自分は揺るぎ無い一つの信念があれば問題ないのかなと思っている。社会に適応したくなくてもしなくてはいけないし、議論は続けることと割り切って従うことは別にしないといけない。うちの総長も「社会と学界の要請に応える」旨を行動計画として示したし、この点に関しては九大はそれを拠り所にできるだろう(もちろん根本の理念は別)。

7月中旬の後半は大学と地域・社会をテーマに論文を読み、議論することを進めることになっている。明日にはその課題が提示されるだろう。

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